子供(1945年頃)

まだ子供であった頃の次女をモデルにして制作した作品です。

子供(1945年頃)

左の作品と同じく次女をモデルにした作品と思われます。

子供(1948)

恩地孝四郎門下による版画の研究会「一木会」による版画作品集『一木集』に収録された作品です。制作年から、長女を描いたものであると考えられます。

入学(別題・白い建物)(1977)

長女の小学校の入学式の想い出を表した作品です。1977年4月〜78年3月のNHK発行の『お母さんの勉強室』という雑誌に収録され、その後、『12のメルヘン』という画文集に収められました。

最初の遠足(別題・五羽のことり)(1977)

『12のめるへん』に収録された作品の1つです。

家族で峠越え(別題・六人の山)(1977

ある年の夏休み、家族6人で急に山に登ることとなり、一家で十文字峠に向かいました。この作品は、そのときの思い出を描いた作品です。最初は、はしゃいでいた子供たちも次第に疲れていき、東京に戻った時には、駅の階段を登ることすらできませんでした。

幼児空を飛ぶ(別題・旅)(1977)

これも『12のめるへん』に収録された作品です。自身の孫が楽しみにしながら初めて飛行機に乗ったときのエピソードを下敷きにしています。

傷ついた小バト(別題・小さなたたかい)(1977)

『12のめるへん』に収録された作品です。当時飼っていた猫が小鳩を捕まえてしまったところ、この小鳩の世話をして最後は山に放したというエピソードを基に制作した作品です。この飼い猫は、21年も生きた長寿の猫でしたが、この絵にあるような怖い顔をしていたわけではありません

帆がみえた(別題・白帆のうた)(1977)

『12のめるへん』に収録された作品です。自らの孫が親戚の前で、踊りながらおかしな歌を歌ったことを題材にした作品です。当時離れて暮らしてた孫のことですが、幼い孫の話を聞き、思わず筆が動いたのでしょうか。

雪の座(別題・残雪の宴)(1977)

畦地梅太郎の子供4人の入学・卒業が重なったことがあり、記念に、畦地梅太郎と子供4人は、丹沢の畦ヶ丸に1泊で登りました。そのとき、頂上で雪を溶かしてコーヒーを飲んだことを題材にした作品です。

遠い火の山(1967)

畦地梅太郎は、体力的に山に登ることが難しくなり、山を慕う想いを投影したものとして山男作品を描きました。この作品からは、60歳を過ぎた畦地梅太郎のなお火の山を慕う想いが、窺い知ることができます。

山の窓(1968)

谷間の間にある窓から、山男たちが様子をうかがっています。畦地梅太郎らしい大胆な構図が特徴的な作品です。

山男の像(1968)

遠くの山を見つめるかのように立っている山男の像と、そこに留まっている1匹のらいちょう。この時代の作品は、いずれもおもしろい構図のものが揃っています。

季節の山(一)(1968)

「季節の山」は、(一)から(四)までの連作となります。「季節の山(一)」では、雪山にいる鳥を可愛らしい山男たちが見つめています。

季節の山(二)(1968)

次の季節の山(二)では、陽が昇る下で、山にいる山男たちをもう一人の山男が見つめているという構図になっています。

季節の山(三)(1968)

季節の山(三)では、陽の下で山男を雪山の鳥たちが囲むような構図になっています。

季節の山(四)(1968)

季節の山(四)では、雪山にいる山男が高くに止まっている鳥を見つめています。季節の山は、いずれも遊び心にあふれた作品です。

鳥とかたる(1968)

畦地梅太郎は、一人で山を登ることが多かったのですが、静寂に包まれながら山を上ったときに、いきものに出会った驚きとよろこびを描いた作品です。

さけぶ三人(1968)

畦地梅太郎は、この作品で表現した内容について「頂上に登り詰めたことのよろこびだけではない。一つの場所におるとき、自分は大声で、なにかしらさけびたい大きな思いになる。」と述べています(『とぼとぼ六十年』)。

山の道(1969)

1969年制作の作品の一つです。1960年代末から1970年代はじめまでに制作された作品は、ブルーの単色の背景にシンプルに描かれ、頭巾のようなものをかぶった山男が多くなっています。

鳥と道具(1969)

鳥がそばにいる山男は、少し不思議そうな表情をしています。畦地梅太郎は山男と鳥を描いた作品を多く制作していますが、この作品もその中の一つです。

鳥とともに(1969)

この作品に描かれているように、らいちょうが人の肩に乗るといったことは、実際にはないかもしれません。畦地は、一人で登る山の中で生き物と出会ったよろこびを、このように表現したと思われます。